北海道の地名が店の名に
その昔と言ったら65年前の1966年のことだ。東京は丸の内に、「斜里」という喫茶店が生まれたんだな。
店主は北海道に全くのゆかりが無い。が「しゃり」という音の響きが気に入り命名したんだねえ。
(高村昭子さん。北海道新聞・和賀豊氏撮影)
高村さんはもともと丸の内のOLだった。このOLという響きも懐かしいね。まさに昭和の香りが漂ってくるねえ。
彼女の職場の近くに洒落た雰囲気の喫茶店を見つけ通い始めたっていうじゃないか。そしていつしか「私もやりたい」と思い始めた。
お父様の協力もあって、66年にJR有楽町駅近くの某ビル内に喫茶「斜里」を開店したという訳だ。
なぜその名を選んだか。決める時、日本地図を広げて、北から見ていくと、すぐに斜里の文字が目に入った。
「北海道はもちろん、斜里に行ったこともなかったけど、呼びやすい名前」だからと店の名にしてしまったという。どうだい、この響きがいいってとこが始まりだったんだな。
高村さんのこだわりは、お客さんの好みに合わせてコーヒーの熱さを変えるなど、気配りをしてきたんだな。すると評判が評判を呼び、保険会社の社員たちがすっかりファンになってしまたという訳よ。
ところが1974年にその保険会社がJR東京駅近くに移転することになった。8年間のなじみのお客さんがごっそりいなくなる訳だ。お客さんも「斜里のコーヒーが飲めなくなるのは寂しいな」と言ったとか言わなかったとか。
高村さんはお客さんのリクエストもあって、何と第2号店をその新築の保険会社の地下にオープンした。どうだい、この思い切った行動は。斜里の漁師も顔負けの行動力だ。
1号店は昨年の夏に閉店したが、2号店には今も現役世代や保険会社のOBらが通い続けてるって話に落ち着く。
「呼びやすいから皆が『斜里さん』と言ってくれて、口コミにもつながった」と言ってくれる。
常連客の中には知床に旅行に行って、そのお土産は斜里に関係するものが届くと言うから嬉しいじゃないか。
高村さん自身は「ここまで続けられて、斜里の方々にも感謝したい」と話しているってえが、さっきも言ったように斜里に行ったことは一度もない。
「恩返しのためにも、一度は行きたい」と語っているから、そのうちその姿が斜里町で見られるかもしれない。その時は町民あげて歓迎しなくちゃあね、馬場隆町長。でなきゃ世界自然遺産の知床が泣くぜ。
(斜里町・馬場隆町長)
おっと忘れるとこだった。東京都足立区には居酒屋「斜里」もあるからな、そちらもよろしく頼むぜ!もしかしたら、全国に「斜里」という店があるんじゃねえかな。そしたらよ、馬場町長、「斜里サミット」でも開こうじゃないか。
(参考:北海道新聞、斜里町HP、居酒屋ナビ)