世の中には怠け者がよくいるものですが、魚屋の勝五郎さんも毎晩酒ばっかり飲んでて働きません。
「おまえさん、起きておくれよ、お前さんったら・・・」
「な、なんでぇ」
「なんでぇじゃないよ、もう朝だよ、早く魚河岸へ行っておくれよ」
「魚河岸?何しに」
「何しにって、商売に決まってるじゃないか。お前さんもう20日も休んでるだろ。もう年の暮れだよ。働いてもらわないと借金取りに追いかけられちまうよ」
何が怖いって年の暮れの借金取りより怖いものはない勝五郎さん、しぶしぶ起き上がって魚河岸に出かけました。
「ったく、寒いなあ。それにまだ真っ暗だし問屋だって開いてねえよ。浜には人っ子一人いやしねえ。さてはかかあのやつ、ひとつ刻(とき)を間違えやがったかな。どうりで眠てえと思った。といっても戻るのも面倒だし。しょうがねぇ、顔でも洗うか」
勝五郎さん海の中へざぶざぶっと入って行きました。
「何だよ俺の足を引っ張るのは」
見ると勝五郎さんの足に紐が絡みついています。
「なんでえ、びっくりさせやがって。俺はまた海坊主でも出てきたかと・・・」
ぶつぶつ言いながら勝五郎さん、ひもを手繰り寄せるとその先にあったのは何と革の財布です。
「これはまた汚い財布だね、だけどやけに重いね」
中を覗いたかつ五郎さん真っ青な顔をして家に駆け戻ってきました。
「おい、かかあ、てえへんだ」
「お前さん悪かったね、私一つ刻を間違えちまって」
「そんなこたあ、どうでも良いんだよ。見ろ、これ!」
「おや、財布じゃないかい。拾ったのかい?」
「そうよ、芝の浜でな。いくら入ってると思う」
「いくらだい?」
「五十両だよ」
五十両といえば、今でいえば何と数百万円ほどにもなる大金。
「これだけありゃあ、明日っから商売なんか行くこたあねえや。おい熊公呼んでこい」
「どうするんだい、おまえさん」
「飲むんだよ。酒も買ってこい。料理も届けさせな。天ぷらにうなぎに鯛の刺身もいいな」
勝五郎さんすっかり気が大きくなって言いたい放題です。
さあ、それからは友達を集めて、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ。ぐでんぐでんに酔っ払ったあげく、勝五郎さんぐうぐう寝込んでしまいました。
「おまえさん、起きておくれ!、おまえさん」
「ふあっ?、な、何だ、火事か?」
「何寝ぼけてんだろうね。火事じゃないよ、早く商売に行ってくれって言ってんだよ」
「商売?、なんだい、商売って」
「おまえさん、魚屋だろ。河岸に行って魚を仕入れて売るんだよ」
「なんで?」
「年の暮れだよ。働いてもらわなくちゃ正月が迎えられないよ。酒屋さんも料理屋さんもお代を取りに来るんだし」
目を三角にして怒るおかみさんに、勝五郎さんは目をぱちくり。
「お代?そんなもん、昨日のあれではらっときゃいいじゃねえか」
「なんだよあれって?」
「あれだよ。ほら昨日芝浜で拾った五十両」
そうしたら、おかみさん呆れた顔でため息をつきました。
「情けないねえ、いくら貧乏だからって財布を拾った夢見るなんて」
「へっ?夢?ま、まさか・・・」
「よくお聞きよ。昨日お前さん何をした?商売にも行かず、朝っぱらから友達呼んでお酒買って天ぷらだのうなぎだのを取り寄せて酒盛り。ぐでんぐでんに酔っ払っちまって、今の今まで寝ていたんだよ。このも怠け者!」
「あの五十両が夢?いや確かに財布を拾った気がしたんだけどよ。夢にしちゃずいぶんはっきりした夢だなあ」
それでも勝五郎さんが起き上がってあわてました。
「そりゃあ、まずいぞ。夢に見た金で飲み食いしまったなんて。おっかあ、どうする、お代は?」
「しっかりしてくれよ。お代ぐらいお前さんが真面目に商売に行ってくれりゃ、なんてことないよ」
「真面目に働けば・・・?。そうかわかった俺はやるぞ、酒はきっぱりやめて一生懸命に商売するっ!。安心してくれよ、おっかあ」
勝五郎さんすっかり心を入れ替えて河岸へ飛び出していきました。
それから3年が経ちました。
「やっぱり魚は勝五郎さんから買うのが一番だね」
酒をすっかりやめて真面目に商売を始めた勝五郎さん、いまでは河岸で一番の魚屋になっていました。もとは裏長屋の貧乏魚屋だったのが、今では店を構えて若い衆を3人雇うほどです。
そしてその年の大晦日。
「おまえさん、なにをおろおろしてんだい」
「だって、家の中がピカピカ光って自分ちじゃねえような・・・」
「畳を変えたんだよ。あたしゃ、正月を新しい畳で迎えたいってずっと思っててね。あんたの稼ぎが良いから夢が叶ったよ。どうだい?」
「ああ、いい心持ちだぁ。昔から言うじゃねえか、畳の新しいのとかかあ・・・は古い方がいいけど」
「変なお世辞はやめとくれ」
「しかし考えてみりゃあ、3年前とは大違いだなあ。あの頃は大晦日っていや借金取りに追われてなあ」
「今じゃ追われるどころか、こっちから頂きに行くところもあるくらいだからねぇ。それもこれもおまえさんが心を入れ替えて商売に身を入れてくれたからだよ」
おかみさんはしみじみ言うと、ふところから財布を取り出しました。
「何だそりゃ、随分きたねえ財布だが、ずっしり重そうじゃねえか」
「おまえさん、この財布と五十両に見覚えはないのかい?」
「五十両?、これは3年前俺が芝浜で拾った・・・。それじゃ、お前が夢だったって言ったのは嘘だったのかい!」
「まあまあ、怒るのは話を聞いてからしておくれよ。実はね、3年前おまえさんは確かに芝浜で五十両の財布を拾ったんだよ。ところがこのお金をどうすんだって聞いたら、『明日から商売しないで酒飲む』って言うじゃないか。これは困ったなと思ったら、おまえさん友達を呼んで酒盛りしてしまっただろ。その隙に大家さんに相談したんだよ。そしたら大家さん『これは役人に届けておこう。ネコババがばれたら、勝五郎さん牢屋行きだよ』って。それであたしはあれは夢だったってことにしたのさ。そしたらどうだい、おまえさん、酒はきっぱりやめて真面目に働きだした。財布は1年経っても落とし主が現れないってんで、私の手元に戻ってきたけれど、ここでおまえさんに『夢と言うの嘘でした』って五十両渡したら、せっかく心入れ替えて働いているおまえさんが、またなまけ者になるんじゃないかって心配でね。それで今まで黙ってたって訳さ。さあ腹が立つなら、気の済むまで怒っておくれ」
ところがじっと話を聞いていた勝五郎さんピクリとも動きません。
「そうかい、そういうことだったのかい。いや腹が立つ訳がねえ。それどころか、礼を言わなきゃならねえ。お前のおかげで俺は真面目に商売することを思い出してここまでになったんだものなぁ。お前は大した女房だよ」
「おまえさん・・・分かってくれたんだね。ああ、ありがたい。さ、それじゃあ今日は年越し。お酒をたんとお飲みよ」
「え、酒?いいのかい?」
「いいんだよ。もう、お酒に溺れることもないだろうし。ほら、料理もここに」
「ああ、ありがてえなあ。久しぶりに酒が飲めるなんてなあ」
目を輝かせて、勝五郎さん茶碗になみなみと酒をついでいきます。ところがお酒を口に運びかけたところで、ふと手を止めました。
ここからオチへと進みます。
(参考:心をそだてるはじめての落語、講談社)
落語に出てくる女房の中で、これぞ女房の鑑という女房です。亭主を立ち直らせたいために、つきたくもない嘘をつき通します。嘘だとわかった亭主が女房の気持ちを理解して夫婦の愛情が深まるという人情噺として秀逸な噺です。
昭和30年代に萬屋錦之助主演で映画化されました。芝浜は当時、魚の卸売市場でした。
三遊亭圓朝が自作・自演したこのお話は、故・立川談志が得意としていた噺です。談志は亡くなる前の最後の高座でもこの「芝浜」を演じました。ご本人も大好きだったのでしょう。個人的に談志は好きな噺家ではありませんでしたが、「芝浜」は秀逸だと思います。
ではその立川談志が、まだ元気な頃に高座にかけた「芝浜」をたっぷりとお楽しみください。